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 ◆ エルモット誕生物語

【ビジョンが種から発芽するまで】

2002年頃
仕事中の私の頭の中に、突然、あるビジョンが降りてきました。

それは、里山に古民家が点在し、あらゆる人種の人たちが、和文化で交流を楽しんでいる風景でした。心からの安心した笑顔で無防備に笑い合っている、とっても平和な光景です。

わあ、すごい!これはどこ?!絶対に行きたい!こんな場所を作りたい!
「これを作るために生まれてきたんだ!」とさえ思いました。
これは何と呼べば良いのだろう、「和文化のテーマパーク」かな?

そこで私は「和文化のテーマパークを作りたい!」と周囲に言い始めました。
ところが、周囲に声を掛け続けるも「何を子供みたいに」と相手にされないどころか馬鹿にされる始末・・・

ビジョンの素晴らしさが伝わっていないのだと気づき、和文化について様々な切り口を考えて「どう表現すれば賛同してもらえるのだろう」と、その表現方法に腐心するようになりました。

精神性、ヒーリング、第六感、…など、
「和文化は人生に役立つものである」ということを言語化するのに何年も費やしました。

並行して、数年間、経営の勉強会にも通いました。一向に協力者が出てこないから、すべて自分でやるしかないと覚悟したのです。
「MBA並みの内容」と言われる講座に数年間通い、数字は苦手ながらも、目から鱗がたくさん落ちました。「投資を極めた人」から解説されると、「お金」も宇宙の法則で動いているのだな、「経営」って人間を愛していなければできない仕事だな、と様々なことを学びました。

企画を練り続けているうちに「このテーマパークは精神性を高める場所である」という設定が一番フィットしているのかな、という考えに落ち着いてきました。とはいえキーワードはなかなか決まらず、「アルココ王国」「超人ワンダーランド」「エトサトリ」など、思いついたことは片っ端から試してみてはホームページを修正する、ということを繰り返していました。


2013年秋
東京オリンピックの開催が決まった瞬間から、私の企画に対する周囲の反応が、いきなり「素晴らしい!」「今すぐやったほうがいいよ!」に変わりました。

しかし和文化を表面的に体験しても、ゴールには全く到達しないことに気づいているので、どうやってプログラム化したらいいのか分からず悩み、なかなか行動に移すことができませんでした。単なる「和文化体験」なら、浅草などに行けば似たようなサービスは山のようにあります。そこと競争したって意味がないのです。ゴールに近づくためのサービスは、単なる和文化ではない、別の要素が必要。それは何?ぼんやりと見えてきているのだけれど、明確に見えない。クリアにさせたい!と求め続けていました。

一方で、夢がどんどん遠のいていくような気もしていました。コンセプトを練り続けて、ビジョンが具体的にになってきているのに、知れば知るほど、現状との落差に愕然としてしまう・・・。それでも諦めきれず、入り口に繋がる道がどこかにないのかと、泣きながらウロウロし続ける日々・・・。

一人での限界を感じていた私には、協力者が必要でした。とにかく人目につくようにと、ビジネスプランコンテストに応募しまくっていました。資金や協力者を集めるためには応募が一番良いのではと思ったのです。

あちこち何度もチャレンジして、書類審査さえ通らなかったものが、一次、二次と通るようになりましたが、あまり成果はありませんでした。あるビジネスグランプリでは、ファイナリストとして500人の前でプレゼンしましたが、応援メッセージはもらえたけど、しかし大きく変化するようなことはありませんでした。


「テーマパークを作りたい」という私の望みに、具体的に協力しようとしてくれる人も、もちろんいました。彼らは「サイボクハム」や「日光江戸村」などがビジネスモデルとして参考になるのではと、親身になって考えてくれました。もちろん、目指すべき成功例として紹介してくれているのです。後々になって、たまたま通りがかった本物のサイボクハムを見た時、本当に驚きました。「テーマパークという言葉を使った途端に、みんなこれをイメージするんだ…」そして今まで何の成果も出せていない理由が心底納得できました。言葉の選び方が、根本的に間違っていたことにようやく気づいたのです。その時以来、私はテーマパークという言葉を使うのは止めました。


2015年夏
新宿に住んでいた私に、1泊で寄居を訪れる機会がありました。その時に感じた、目覚めた朝の幸福感!!!過去にも八ヶ岳やら霧島などパワースポットと呼ばれる場所に宿泊した経験はありましたが、こんなに幸せに満ちた気分を味わうのは生まれて初めてでした。あまりの感動に、9月に転居してしまいました。寄居町立原にある合宿施設でした。

それは60人が合宿可能な老朽化した施設で、ここを手入れして夢を実現させようと考えました。ところが翌年早々オーナーから「売却するから年末までに出てください」と言われ、退居することになりました。

2016年秋
引っ越し先は、寄居町末野にある一軒家です。そこは、オレンジ色の三角屋根が印象的な、南斜面の日当り最高な民家でした。

その年末、外食しようということで、民家利用のフレンチレストランに入りました。するとその店は、内装も何もやってないというか、あまりにも普通の家のままで営業していたのです。私は本当に驚いて、概念が吹っ飛んで「これなら私もできるかも?! そうだ、カフェからやってみよう!」と思い立ちました。

2017年
年明けから手作りで内装や家具を作り始め、4月1日にカフェをオープンしました。

オープン直後に、20代のカップル2人にお手伝いを頼んで、Facebookの動画配信で30分のプレゼンをしました。下手なプレゼンでしたが、アクセス数は100人を超えていました。生放送なので質問をくれたり、メッセージを送ってくれた人もいて、「何か手伝いたい」と思ってくれている人がいることは実感できました。でも距離のせいかも知れませんが、実際に行動に移してくれる人はいませんでした。

「手伝いたい」という気持ちは伝わってくるのに、「何をしたらいいの?」という雰囲気がある。「未来のビジョン」と「自分のやること」が繋がっていないから動けないのかなと思い始めました。具体的に動いてもらうためには、具体案にまで落とし込む必要があるのだと感じました。アイデアから企画書へ、計画書へ、行動指示書へと、もっともっと細分化しなくちゃいけない。「ビジョン」を伝えることに腐心している段階では、まだまだ先は長いのかも…と感じました。

オープン後も、コンセプトや表現をずっと練り続けていたところ、半年後の10月末、「見えない世界を感じながら生きるライフスタイルを」というキャッチコピーが出てきました。この言葉でパンフレットを作ったところ、突然、周囲の反応が「これイイね!!」に変わったのです。そして事業の目的が伝わるようになり、興味を持ってくれる人が増えてきたのでした。練り続けてきたコンセプトが、ようやく固まった感触がありました。

その後、パンフレットをベースとして、名刺カードや周辺マップなどを作り、印刷物の種類を少しづつ広げています。活動を知っていただくためのパンフレットは本当に便利です。一目で伝わるのは大事なことだなと改めて感じています。

パンフレットのお陰で、以前よりもずいぶん、理解してもらえる度合いは高まってきました。そしてWWOOfer(有機農業とその生産物を扱う農場や事業所のボランティアをマッチングする英国発祥の仕組み)に登録できたので、外国人ボランティアさんにも来てもらえるようになりました。今後のテーマはさらに、もっとボランティアさんに集まってもらえるような、より魅力的な場所にしていきたいと思っています。働く人がイキイキしていたら、それだけで魅力的で、お客様も大勢集まってきてもらえるのではないかな、そんな空間を作りたいな、と願っています。

【エルモットの事業を登山に例えると・・・】


登山に例えると、事業の「目的地」は「山頂」です。

エルモットの場合、突然、山頂のビジョンが現れました。

ただ「山頂のビジョン」だけ!でした。

「現在地」も分からず、当然「山頂までのルート」もなく、ルートが必要なことすら、考えが及びませんでした。
無意識に「飛んでいける」と思っていたのかも知れません。

山頂のビジョンについて、エルモットでは「地上の楽園」という言葉を使っていますが、「桃源郷」「まほろば」「パラダイス」「ユートピア」「シャンバラ」「ユーサイキア」「神の世」など、世界各地で様々な言葉で表現されている、たぶんすべて、ゴールは同じだろうと私は感じています。

そこへ至るには、一人では行けません。このビジョンを仲間と共有するためには、言語化が必要です。明言化しなければ「同じ単語を使っていても、内容はまったく別モノ」になる可能性が高いです。「同床異夢」というのでしょうか・・・

「楽園とは、どのようなところ?」これが人によって全く違うのです。

「赦し合える世界」「争いのない世界」「お金のない世界」「好きなことだけやってたらいい世界」「働かなくても生きてゆける世界」「ぐうたら怠けて快楽に浸れる世界」「周囲に奴隷がいっぱいいて、何でもしてもらえて自分勝手に生きられる世界」

「楽園」のイメージは百人百様なのだから、定義を設定しなければ始まらないのだと気づきました。

エルモットが定義する「楽園」は

*人種を問わず、安心して笑い合い、交流できる。
*人間の本質である「創造性」が発揮できる。
*人間としての尊厳が保たれている。正当に評価される。

他にも要素は色々ありますが、今はこの3つを挙げています。これを実現するためには、自己超越が不可欠!この自己超越するための体験を、「和文化」「ヒーリング」を中心に提供する!これがエルモットの事業です。

「楽園」が定義できて、ようやく、目指す「山」が明確になりました。とはいえ自分の中で明確になっただけで、多くの人に理解されるには至りませんが・・・

山の頂上は高すぎて、雲に霞んではっきり見えない。でも、登山口を決めて、「この先に山頂があるんですよ」と始点を決める必要がありました。どこから登ればいいんだろう・・・とウロウロさまよっていたある時、「見えない世界を感じながら生きるライフスタイルを。」という言葉が現れました。これによって、周囲の人が「頂上」をイメージできるようになったのです!やっと登山口が決まりました。「三次元を超えて、異次元を感じながら生きる感性を高める生き方」を実現することによって、自己超越し、山の頂上を目指します。頂上までのルートは超アバウトで、「この辺で行こか?」という感じです。

一人では登れないくらい高い山なので、縁のある人、価値観を共有できる楽しい人に集まってもらい、疲れないように休みながら楽しく頂上を目指してゆきたいと願っています。

今は、「一緒に山に登りたい」と思ってくれる仲間が少しづつ集まってきてくれている感じがしています。準備運動をそろそろ終えて、出発時間が迫ってきた…そんな時期かな、と感じています。

【その前のお話。序章というか、伏線というか】

1992年、大阪市北区で創業した「オフィス・カシュカシュ」の一人社長である内藤明子は、何でも一所懸命に取り組む性格です。印刷物や映像のデザイン仕事に携わり、質の高いものを作りたい一心で、能力開発セミナーに色々と顔を出すうちに、スピリチュアルの領域のワークショップにも顔を出すようになっていました。

創業10年目・2002年のある日、東京に住む知人が「相談がある」と大阪までわざわざ訪問してくれました。彼は「心を映し出す鏡」のようなソフトウェアを開発しており、これを元にITベンチャーを立ち上げて、「マインド・リゾート」というコンセプトで地球をパラダイスにするという計画を語ってくれました。彼の私に対する要望は「インターフェイスデザインやCI設計などに関わってもらいたい」ということでした。

私はこのコンセプトに感激して、どうしてもこの仕事に関わりたいと思い、東京へ引っ越すことにしました。実は、その1年前に、「仕事にも飽きてきたし、新しいことしたいな、東京の仕事でもやってみようかな」という軽いノリで、自分の作品集を持って、東京のプロダクションを数社回ってみたのです。すると反応が良くて、どこの会社も、作品を見るやすぐ発注してくれました。しかも、大阪の仕事よりも発注金額が一桁多いのです。「こんな簡単に仕事もらえるんだ」と思ったものの、拠点を移すほどのモチベーションも上がらず、そのまま自然消滅していました。そんな経験があったために「いざとなれば、またプロダクションを回ればいいわ」と、本当に軽く考えていたのです。

社長が考えた「マインド・リゾート」は、南の島のイメージでした。海に浮かぶキャラクターや、海をモチーフにしたロゴを作るようにと指示があり、作ろうとしました。しかし、いつもは「スルッ」と出て来るイメージが、なかなか出てこないのです。本当に難しい。なんで出てこないんだろう?!と必死になってもなかなか出てこない。わーん、なんで?!そうか!私は海より山が好きなんだ!と思った途端、突然!頭の中に「あるビジョン」が現れたのです!

里山に古民家が点在し、そこであらゆる人種の人たちが、和文化で交流を楽しんでいる。心からの安心した笑顔で無防備に笑い合っている、とっても平和な光景でした。

これこそが、私の求めているもの!行きたくてたまらない!絶対に行きたい!「魂が歓喜して震える」とは、このことか!と実感したのです。

「社長が実現する地球パラダイス計画の中に、これを入れてもらって、そのうち作ってもらおう!」なんて暢気なことを考えていました。

3人のベンチャーだったので、私も資金調達やソフトウェアの販売を中心に考える必要がありました。ダウンロード販売だけでなく、Windows95にバンドルしてもらうとか、CD-ROMで配布するとか、色んなことを考えなければなりませんでしたが、営業経験もなく、そんなこと考えたこともない私には、どうしたらいいのか、さっぱり解りませんでした。とにかく認知してもらわなければならなかったので、誘われるまま異業種交流会に出て、ソフトウェアの説明をするのですが、全く理解されない。「こんなもののために東京に来たの?!」と呆れられる始末。なんでこの素晴らしさが解らないんだ、これが理解できないなんて、東京の人間はバカばっかり!と最初は憤っていましたが、あまりにも打ちのめされて、馬鹿なのは自分のほうだったと気づくのにもずいぶん時間がかかってしまいました。

コンセプトが間違っているのかな・・・という気持ちが芽生えてくる。社長からは「スピリチュアル色を消せ」と言われる。色んなことに悩みはじめ、著名な心理カウンセラーの先輩に尋ねてみたら「コンセプトのここが違う」と指摘され、正しいコンセプトが見つかりそうでした。ところが社長にそれを上手く伝える力が私に足らず、今よりさらに感情的に生きていた当時の私はケンカみたいになって、会社に行く頻度が下がってしまいました。

もともと、給料をもらえるような契約はしていなくて、私が関わりたくて押し掛けてきた状態だったために、生活費が必要でした。そこでバイトしなくちゃと、また作品集を持ってプロダクションを回ってみたものの、この時はどこへ行っても「今は発注できるものがない」と断られ、何か世界との歯車が合わない感じ・・・

だんだん焦ってきて、カウンセリングや占い、チャネリングなど、アドバイスを貰えそうなところを手当たり次第に回りました。すると、どこへ行っても「あなたはヒーラーだから、ヒーリングの仕事をしてください」と言われるのです。スピリチュアルは好きで勉強していたけれど、まさか仕事にするなんて考えたこともなかったのですが、藁をも掴む思いでヒーリング学校に行き、資格を取得して、仕事を始めました。すると本当に適性があったみたいで、ヒーリングで生きてゆくことができるようになりました。

ヒーリングの仕事をしているうちに、どんどん自分がヒーリングされてゆきました。「ヒーリング抜きに自己超越はありえない、だからヒーラーになったのか…」と気づきました。そして、前の社長が求めた「楽園」と、私の求める「楽園」が、根本的に全く違うものだったのかも知れない…と、やっと思い至ったのです。

しかし「テーマパークを作ることが、私の生まれてきた目的だ!」という思いが強くて、何をするにも、そこに意識が向いてしまうのです。とにかく理解者を一人でも増やしたい、そのために言語化して資料を作ったりホームペ―ジを作り直したりしたい、他の仕事をするのは時間がもったいない、と焦りながらも常時考え続ける毎日を過ごしていました。まさかこの状態が10年も続くとは予想もせずに・・・・・・。

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